婦人科医の主治医を持つ重要性

海外では生理が始まると婦人科の主治医を持つことが当たり前だと聞きました。 私は20代から30代は生理不順で40代過ぎてからやっと毎月生理が来るようになりました。その頃は1ヶ月のうち数日しか調子のいい日がなかったので、派遣社員で短期契約の仕事を選んで仕事をしていました。今思えばおそらく女性ホルモンが影響していて、自律神経のバランスも崩れていたのだと思います。もし婦人科の主治医がいてくれたら休日をもっと有意義に過ごして、楽しい毎日が過ごせていたのではないか、人生のどれだけの時間を無駄にしたのだろうかと思います。 これからは、更年期だけではなく、若い人たちの生理不順のような相談しにくい話でも、医師に相談することが一般的になっていってほしいと思います。 婦人科の主治医を持つ意義として更年期だけではなく、女性の一生について知る機会を作っていかなければいけないと感じます。そのためには女性ホルモンの役割を理解してもらう必要があります。この部分は医療機関以外で担っていかなければいけないと考えています。 ちなみに、ホームページに神奈川県内で主治医を探すサイトがありますが婦人科がひとつも掲載されていなかったのは残念です。


姉の不調

姉は50才過ぎたころにホットフラッシュがあり、疲れが酷かったようです。介護の仕事をしていたのでケアマネージャーの試験を受けるように言われ受験勉強をしたようです。それがストレスとなり体調を崩し仕事を辞めてしまいました。 その後しばらくして膠原病と診断され、5、6種類の薬を服用していました。症状が改善しないと違う薬を処方されることを繰り返して、あちこち痛いと言い病院に頻繁に通っていました。薬の副作用と思われるようなことも起きていました。 生理が終わり更年期の症状も以前からあり、精神面も不安定でした。私は更年期の症状を取り除いたら膠原病で処方されている薬を減らせるのではないかと考えていました。手がしびれるというのでリウマチなのかという気もして、内科医でリウマチ・膠原病、更年期障害に詳しい医師に診てもらうことにしました。 姉はHRTを始め、体が少し楽になったのか精神的不安定と体調が徐々に良くなり、膠原病で服用していた薬も減らすことができ、膠原病で受診することはその後しなくなりました。 その後、HRTを続けていましたが引っ越しに伴い別の病院に行くことになり、病院が少し遠かったようでHRTを途中からやらなくなりました。HRTを続けている間にどうやら婦人科検診も乳がん検診もしていなかったようで、姉は胸にしこりがあることに気づき、検査に行って乳がんのステージⅡと診断され、全摘出手術をしました。

 

母の晩年

母は夜に暗がりでベッドから下りた時、大腿骨を骨折してしまいました。手術をするために都内の病院に入院しましたが、若干の認知症で夜中に点滴を外そうとして暴れるということで、体をベッドに拘束されてしまいました。自分でトイレもできないのでおむつをし、食事の時にトイレに行きたくなっても看護師からは、そのまましてくださいと言われていました。正常な人でもご飯を食べている間にたとえおむつだとしても排泄ができるのでしょうか。したいけど他の患者さんたちもいる食事室でご飯を前にして、その場でおむつにするのも嫌なのは当然で、どうにもならず、ご飯はほとんど手を付けずに時間が来て下げられてしまいました。とても憤りを感じたことを強く覚えています。 3週間ほどして退院となり、姉の住んでいる大分の施設に入ってもらい、姉に面倒をみてもらうことになりましたが、場所が変わることを嫌がる母をごまかしながら姉と二人で施設に連れて行きました。 大分の施設では、補助具を使用して動くことができていて、姉も毎日顔を出していたので、認知症はそれほど変化しませんでしたが、半年もすると姉が大変だと言い出し、一年経過するころ姉が乳がんになり手術。家に帰っても大変だからと、ずっと入院をしていました。その間、母親を放置状態にしてしまいました。母の施設では介護1で、やってもらえることは着替えとおむつの替え、お風呂くらいだったと思います。介護士の人が食事の時に食事室までの移動してくれた以外は施設の中を一人で動き回れるわけではなく、部屋にあるトイレにも一人では移動できなかったのでおむつ。ベッドから移動できない状態で、見回りの時間にしか介護士は見に来ないため、会話らしい会話のない日々だったと思います。そのせいか母の認知症は一気に進んで、顔つきがとてもきつくなりました。 母はある日、昼食の後に誤嚥を起こしました。気づくのが遅かったために誤嚥性肺炎を起こし、一度は回復しましたが食欲がなくなって食事をとらなくなりました。 このままだと胃ろうを付けることになり、その場合は介護施設には戻れませんと医師から説明がありましたが、食事をとらなくなったためそこから一週間ほどして亡くなりました。

最後に

母は認知症でしたが、大腿骨骨折をして入院することがなければ、自宅で過ごせていたと思います。高齢になっても杖などを使って家の中を移動することはできると思いますが、買い物等で外出することは難しくなり、刺激の少ない生活で認知症になることもあると思います。

人生の後半の大切な時期を辛いものにしないためにも40代あたりから骨折には気を付ける必要があります。 自分の若い頃の体調不良、姉の乳がん、母の老後を振り返ると、女性ホルモンが女性の一生に影響し、人生を左右する重要な役割をしていることを伝えることは大切なことだと思います。

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